フェルトのつるし飾り【桃の節句とは】
昨日の記事で少し触れた、フェルトのつるし飾り第1作目です。
季節を楽しむフェルトのつるし飾り (レディブティックシリーズno.4752)という本を参考にして、少しアレンジを加えて作りました♪
3月3日のひな祭りは「桃の節句」ともいいますね。
目次
桃の節句の起源
3月3日桃の節句・ひな祭りは現代ではすっかり「女の子のお祭り」として定着していますが、本来は老若男女問わず春を喜ぶ日だったのだそうです。
古代中国で3月に行われていた行事が日本に伝わり変化したもの
西暦300年ごろの古代中国では3月3日に春の訪れを祝い、無病息災を願う行事として沐浴や禊(みそぎ)をしていました。
ちょうど季節の変わり目であるこの頃は体調を崩しやすく、邪気が入らないようにという意味があります。
この行事を遣唐使が日本に伝え、宮中行事として取り入れられたと言われています。
穢れを祓う意味合いで、紙や薬草で作った「ひとがた」で体を撫でて穢れを移した「ひとがた」を川や海に流すようになりました。
ひな祭りは平安時代のおままごと
節句とは別に、平安時代の宮中や貴族の子供の間では人形遊び(おままごと)が流行っていました。
このままごと遊びのことを「小さい、可愛らしい」という意味の「雛」や「ひいな」という言葉を用いて「ひいな遊び」「ひいな人形」と呼んでいました。
桃の花の言い伝え
「ひいな遊び」が武家社会まで広がると、5月5日が男の子の節句であることの対として、3月3日は女の子の節句として浸透していきました。
また、桃の花はその頃がちょうど開花時期であり、古代中国から邪気を祓う神聖な樹木として大切にされていたことから、桃の花を飾ったり、桃の花を浮かべた桃花酒というお酒が飲まれていました。
雛人形は流すものから飾るものに変化した
江戸時代初期には人形を作る技術の発展に伴い、雛人形は「流すもの」から「飾るもの」へと変化しました。
当初は男女一対の人形にお供えする行事食もみだったものが、お供えが増え、道具が増えて7段飾りなどの豪華な雛人形が出てくるまでになったのです。
桃の節句-ひな祭りに食べるもの
江戸幕府が五節句を制定したことから「桃の節句」が定着しました。
そしてひな祭りもだんだんと豪華なものになっていったのです。
ちらし寿司
「ひな祭り」といえば、ちらし寿司ですよね。
ちらし寿司に使われる具材にはそれぞれ意味があります。
◯エビ・・・背が曲がるほど長く生きられる「長寿」
◯レンコン・・・穴が開いていることから「見通しがたつ」
◯豆・・・「健康でマメに働ける」
色とりどりの具材にはこんな願いが込められています。
ひし餅
植物のヒシ(菱)は、水面に拡がって繁ることから、ヒシ形は成長や繁栄のシンボルとして古くから親しまれてきました。桃の節句のひし餅には、女の子の健やかな成長と豊かな人生への願いが託されています。
また、3色のひし餅の色にも意味があります。
◯桃色・・・桃は厄除けのイメージ。止血、鎮痛効果があるとされていたクチナシを用いて色付けされています。
◯白・・・純白で穢れのない雪のイメージ。薬膳で滋養強壮や健胃効果があるとされるヒシの実を使い、子孫繁栄を表しています。
◯緑・・・新芽の萌ゆるイメージ。造血作用やデトックス効果のあるとされるクロロフィルや酵素、ビタミンミネラルを多く含んだヨモギで色付けされています。
ハマグリのお吸い物
ハマグリは二枚貝で、一つ一つ形が違います。他の貝とはつがいになれないことから、女の子の貞淑、良縁を表しています。
ハマグリの旬も2〜4月ごろで、ちょうどひな祭りの時期です。
ひなあれ
ひし餅と同様の意味で、桃色、白、緑でできています。
ひし餅を外でも食べやすくするために砕いて焼いたのが「ひなあられ」の発祥とも言われています。
雛人形を飾る期間
雛人形はいつ出す?
立春の2月3日がひとつの目安です。ちょうど1ヶ月飾ることができます。
また、二十四節気の雨水(2月18日ごろ)に飾ると、良縁に恵まれるとも言われてます。
どちらにしろ、遅くとも1週間前までには飾るようにします。
慌てて前日の3月2日に飾るのは「一夜飾り」といって縁起が良くないので避けましょう。
雛人形を片付けるタイミング
雛人形を片付ける時は人形に湿気を残さないように、3月中旬までの天気のいい湿気の少ない日を選びます。
また、啓蟄(3月5日ごろ)の日に片付けるのがいいという言い伝えもあります。
ひな祭りが終わったらすぐ片付けないと!とよく言われますが、「きちんと片付けできるように」との願いを込めた言い伝えなので、必ず3月4日に片付ける必要はありません。